母子世帯の居住貧困が日本経済評論社より出版されました。

かねてよりお知らせしておりました、「母子世帯の居住貧困」が日本経済評論社より出版されました。これまで、調査等にご協力いただきました、関係機関の皆様、また、調査にご回答くださった当事者の皆様。助言アドバイスをいただきました諸先生方。こころよりお礼を申し上げます。出版助成を頂きました(一財)住総研、また、出版の機会を作っていただきました日本経済評論社の皆様。本当に本当にありがとうございました。皆様のお力添えがあり、本書を世に出すことができました。

母子世帯の貧困問題には光が当たり始めておりますが、住まいの視点からそこに切り込んだ調査研究は他にはないと自負しております。是非、この機会に、お手に取っていただければ嬉しいです。

本書の情報は、コチラから→ http://www.nikkeihyo.co.jp/

以下、「おわりに」の部分を抜粋して掲載しますが、フィールドからたくさんの貴重なことを学びました。そこで出会った人々にインスパイアされ、支えられながら、研究活動ができた20年間でした。

〇「おわりに」一部抜粋

 母子世帯の住まいをテーマに研究を始動したのは、二〇〇〇年ごろからだったと記憶している。当時、修士課程の指導教官だった和歌山大学の大泉英次教授に渡された文献がきっかけだった。何かの国際学会での報告のようだったが、米国における女性の住宅事情をリサーチしたもので、低所得母子世帯の住まいの問題が克明に記録されていた。これに興味を持った私は、日本国内で、女性の住宅政策について扱ったものはないかと探し始めた。もちろん、母子世帯については、旧母子寮における女性たちの実態を扱ったものや、婦人保護施設の施設環境に関するものは存在したが、一般の母子世帯がどのような住宅に住まい、そこでどのような生活を営んでいるのかなどを把握できる調査研究は皆無に等しかった。諸外国の文献の整理や既存統計調査を統合して、なんとか、母子世帯の住まいというテーマで修士論文をまとめ上げた私は、そのテーマをもって、神戸大学自然科学研究科の塩崎賢明教授のもとで指導を受けることとなった。二〇〇一年のことである。

 塩崎教授は、一貫して、現場に立脚した研究スタンスを取っており、私にも、母子世帯の生の声を集めてその実態に迫ることを要求した。思えば、そこからが苦悩の連続であった。あらゆる関連機関の門をたたいたが、そうやすやすと世間知らずの一学生に研究フィールドを与えてくれる団体などはどこにもなかった。どうしたものかと思案する私に、ドメスティックバイオレンスのシェルターであれば、母子世帯の声を聞けるかもと紹介してくれた人があった。そこに電話し、調査協力を依頼すると、予測に反して一括された。命がかかった現場に、そんな軽い気持ちで入ってくるのかと。今思えばしごく当然のことである。なんの知識も持たない一学生が、ずかずかと、デリケートな現場に入ってこようとしているのである。途方に暮れる私に、そのシェルターの代表はボランティアであれば受け入れてもよいと助け船を出してくれた。住まいの問題に興味があるということで、代表が私に課した役割は、被害者の住宅探しの同行であった。そこで、困窮する女性たちがどんな惨めな状態に置かれているのか、肌で感じてこいというのである。荷の重い仕事に当初は困惑したが、この経験は、のちの研究活動に多大な影響を与えることとなった。私が担当した女性たちはみな、シェルターを出て、駅前の不動産屋に足を運ぶだけでもたいへん辛そうに見えた。加害者に見つかるのではないだろうかという不安から、子どもの手を強く握りしめ、何度も後ろを振り返り安全を確認する人。見つからないようにと帽子を目深にかぶり、うつむいたまま、無言で足早に目的地を目指す人。そんな事情を知らない不動産業者は容赦なく、彼女たちに質問をぶつける。オープンな空間の中で、誰かに話しの内容を聞かれているのではないかと、おどおどする被害者は、緊張からうまく状況を説明することができない。仕事もなく、貯蓄もない。いずれは生活保護を受給するかもしれないなど、条件はまずいものばかりである。今のように、空き家も多くなく、生活保護受給者を忌み嫌う家主も少なくなかった。中には、うまみのない店子だと察知した途端、あからさまに嫌な顔をする事業者もいた。

 いわずもがなだが、出される物件はいずれもお粗末なものばかりである。内見も一緒に足を運んだが、中に入るなり子どもたちが「お化けが出そう」、「お母さん家に帰ろう」と言った言葉が今でも耳に焼き付いている。

中でも、絶対に忘れられない、忘れてはいけないエピソードがある。ある日の夕方、住宅探しがうまくいかず、シェルターに帰宅する道すがら、私たちは夕立に降られた。駅の構内に雨宿りをすると、そこにファストフード店があった。食べたいとぐずる子どもたちに母親は「ごめん。お金がない」と言った。その途端、10歳の男の子が、大声で泣き出した。思い返すと、それを食べられないことが悲しいのではなく、置かれている状況の理不尽さに泣いたのではないかと筆者は推察している。それにつられて妹も泣き出した。母親も泣いていた。私も、どうしていいのかわからなくなり、逃げ出したい気持ちにかられながら、一緒に泣いた。その時、その母親は、「リサさん、絶対に偉くなって、私たちのような親子が救われるような世の中にしてよ」と縋るように言った言葉がその後の研究への糧となった。偉くはなれないけれど、理不尽な状態に置かれている女性たちの声を集めて公にしようと心に決めた瞬間だった。

 その後、複数の母子世帯の当事者団体にお世話になり、実態調査を実現し、博士論文を書き上げることができた。中でも、全国母子寡婦福祉連合会の足立元事務局長には、本当にお世話になった。母子世帯の住まいの実態を明らかにしたいという私の申し出に、真剣に耳を傾けて下さり、「母子世帯の住まいの問題は古くて新しい問題」と難しい状況の中、団体内にその必要性を説明し、調整を取り、アンケート調査の実施に踏み切ってくださった。

 二〇〇六年ごろからは、自治体のDV被害者支援の格差を明らかにする目的で、全国の民間シェルターを行脚させてもらった。訪れたシェルターは二九団体、数えきれない方々の温かさに触れた貴重な経験となった。「若い研究者でお金もないだろう」とシェルターの一室を提供してもらったことも少なくない。時には、数週間、シェルターで寝泊まりしたこともある。そこでは、1~2時間の形式的なインタビューではわかりえない、生の現場を目の当たりにすることができた。

 そして何より、忘れてはならないのが、調査に応じで下さった、当事者の方々のことである。ただでさえ忙しい最中、思い出したくない過去を語るという作業は多大な苦痛が伴ったことであろう。時には、インタビューが数時間に及ぶこともあったし、共に涙を流したこともある。とりわけ、ドメスティックバイオレンス被害者への聞き取り調査は、筆者にとっても相当なストレスを伴うものであった。具体的な記載は差し控えるが、暴力の実態はあまりにも悲惨なものばかりであり、世間知らずの私には、信じがたい、想像を絶する世界がそこにはあった。死ぬほどの暴力をうけながら、安定した住まいやコミュニティも奪われ、いつ見つかるかわからない恐怖の中、息をひそめるようにして地獄を生きなければならない理不尽さ。もって行き場のない怒りと研究者として解決策を提示できないやるせなさに、何度もくじけそうになった。そのたびに支えてくれたのが、現場で身を削って支援をされる方々や当事者の方たちであった。「声を出せない私たちに代わって現状を訴えてください。」と言ってくださるインタビュイーの方も複数おられた。 

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